ISSUE 01 / 2021

時間をかけて手に入れた自分の説明書が、 自分の生き方をカタチ作る

相羽 崇巨(詩人・ミュージシャン)
EPISODE 03
自分の中にある線

1994年生まれ、名古屋在住のシンガー、司会者、講演家として活動している相羽さん。彼は生まれつき筋ジストロフィーという筋肉が日々衰えていく難病を抱えている。しかし、そんな障がいを個性に代え、挫折を経験に代え、放たれる彼の声や言葉は凛としていてかっこいい。「挫折や、自分の恥ずかしい部分を乗り越えてきた人ほど、かっこよくなる、強くなれると思うんです。だから今まで生きてきた26年間の中でやりたいことが出来ている今の自分が、一番かっこいい」。今はそう晴れやかに答える彼だが、当初は自身の障がいを「恥ずかしい」と認識し、受け入れられなかったようだ。そんな彼にひとり暮らしをはじめたという街で、どのようにその感覚を乗り越えていったのかを尋ねた。

文:峯 大貴/写真:木村 華子
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1994年生まれ、名古屋在住のシンガー、司会者、講演家として活動している相羽さん。彼は生まれつき筋ジストロフィーという筋肉が日々衰えていく難病を抱えている。しかし、そんな障がいを個性に代え、挫折を経験に代え、放たれる彼の声や言葉は凛としていてかっこいい。「挫折や、自分の恥ずかしい部分を乗り越えてきた人ほど、かっこよくなる、強くなれると思うんです。だから今まで生きてきた26年間の中でやりたいことが出来ている今の自分が、一番かっこいい」。今はそう晴れやかに答える彼だが、当初は自身の障がいを「恥ずかしい」と認識し、受け入れられなかったようだ。そんな彼にひとり暮らしをはじめたという街で、どのようにその感覚を乗り越えていったのかを尋ねた。

文:峯 大貴/写真:木村 華子
相羽 崇巨

1994年名古屋生まれ。呼吸器シンガーソングライター、詩人/講演家/イベントプロデューサー。筋ジストロフィーという筋肉が日々衰えていく難病を抱え呼吸器を付けながら、誰も踏み入れたことのない視点から挑戦を続けている。2020年5月から毎回ゲストを呼ぶYouTube投げ銭配信ライブ「If you just smile」を企画し30回目に到達。今後は定期的なライブ出演、MV制作、2ndアルバム制作予定。https://yoro-taka-dream.wixsite.com/aibatakaomi

できないことがあることを受け入れ、前向きにできることを模索する姿勢

相羽さんは小学校までは一般的な公立の学校に通っていたが、徐々に歩行に不具合が生じ、車椅子の生活となっていく中でなんとなく自分が他の人とは違うことに感づいていたという。その後、両親と先生の勧めで中学から特別支援学校に行くこととなり、2年生の時に自身の病名が筋ジストロフィーであることを知った。

「最初はすごくショックだったんです、『なんで僕はみんなと同じなのに、みんなと同じ学校に行けないんだ』と。そのあと支援学校を見学に行って、そこに通う色んな状況の人たちを初めて目の当たりにしました。自分は障がいを持っているという事実を受け入れなければいけない怖さを感じましたね」

しかし特別支援学校で学んだことは今に活かされているとも語る。例えば野球をするにもバットを手で振ることが出来なければ、脇に挟んだり、先生に支えてもらうと振ることが出来るようになる。他にも何か人にやってもらうときのお願いの仕方など、学業というより人とのコミュニケーションや、工夫の術といったことを学んだという。彼にとって出来ていたことがだんだんと出来なくなることは当たり前。そのできないことをどのようにできるようにするのか、前向きにできることを模索する考え方の源流がここにある。

人生の最大のターニングポイントがこの障がいを自覚した時のことだと言う相羽さん。その時の彼の心情は想像にあまりあるが、他人と違うことに対して恐れや恥じらいを感じてしまうことは、特に同質性を重んじる日本社会においては誰しもが理解できるのではないだろうか。「どのようにしてそれを乗り越えていったのか」を聞いてみたところ、それは中学2年生の頃に起きた健常の人たちと接する中で変化したようだ。

「初めて携帯電話を買ってもらって、モバゲーのチャットで知らない人と仲良くなるというコミュニケーションを覚えたんですよ。そのうちその人たちと会いましょうとなるんですけど、そこでは障がいに興味を持たれることがないし、あんまり深いとこまで話をしなくてもいい。恥ずかしくなる必要がないことに気づいて、そこから行動力がつきました」。他者との関わり方において兆しが見えた中学生時代。それが高校生の頃になるとさらにパワーアップしたようだ。

「当時流行っていたAKB48に自分もハマったんですが、ネットで仲良くなった人と握手会に誘われて『僕、車椅子ですけどいいですか?』と聞いても『いいよー』って感じで、なにも気にせず手をかしてくれるんです。共通の趣味で繋がっているから障がいのことを相手が気にしない。そのことに僕は救われたんですよね。学校以外でも助けてくれる人、頼れる人がいるんだと初めて知った。そこから『トイレ手伝ってもらってもいいですか』、『ちょっと拾ってください』と全然知らない人にお願いできる根性がどんどんつきましたね。逆に今はもうちょっと気遣っていますが(笑)」

つまりそれまで障がいが自分を覆い隠すように影を落としていたが、そこに構わず個人に目を向けてくれる周りの環境によって、障がいを自身の脇に寄せることが出来た感覚だ。

「自分の恥ずかしいところやマイナスなことに向き合い過ぎてはいけないと思っていて。解決策が見えずに、闇に入り込んでしまうばかりなので。だから自分の臭いところはなるべくフタをして見ないようにしてきました。いいところや強みだけに向き合って、追求できればいいなと」

「ある時期までずっと生きる意味について考えていたんです。『なぜ僕がこの世界に生まれてきたんだろう?』って。でも至った結論は今まで意味を「見つけよう」とし過ぎていた。そうじゃなくって僕が生きているのは意味を「作る」ためなんだ。そう考えるとすごく生きやすくなりましたね」

これらの発言にも彼の潔い折り合いのつけ方と、どうにかポジティブに転換していく思考が伺える。

自分のやりたいことや、得意なことは誰かの一言がきっかけで見つけられた

では恥ずかしさを乗り越えた先に彼はどのような意味を作り、そしてやりたいものを見つけていったのだろうか。元々は社会に出ることを意識するまでやりたいはまったくなく、当初は父親が中華料理店を経営していたという理由だけで税務や会計を手伝おうと公認会計士を目指していたという。しかし勉強が嫌いな性分で、特別支援学校でのカリキュラムの限界もあり学力がそのレベルまで追いつかず、あっさり諦めてしまった。そこで高校の先生に進路相談をしたがその障がいの重さから「相羽くんが思ったように働ける場所はないんだ」と言われ、社会的に何にも出来ないことを思い知る。

しかしこのことが「自分にはどんな仕事が出来るんだろう」と初めて具体的に考えるきっかけとなった。先生にも提案されて選んだ進路がナレーターの専門学校。相羽さんは高校3年間、広報委員会としてお昼の校内放送をやっていたこともあり、そこで「声がいい」、「喋り方が上手だよね」と周りから言わたこともあり、声なら使えるという可能性を見出した。

「自分のやりたいことは得意なことにあって、そこに気づけたのはいつも誰かからもらった一言がきっかけだったと思います。今、音楽をやっているのも七尾旅人さんに声をかけられて、一緒に歌ったことがきっかけなので」

しかしその専門学校に入学する際に事件が起こる。そこでは障がいを持った方を受け入れた前例がなく、現場の先生は相羽さんの支援学校を事前に見学に来るなど準備を進めていた。しかし最後の面接で校長から直々に入学拒否を突き付けられたのだ。「あんたみたいなのに何ができるんだ」、「命も長くないのにこんなことやっても仕方がない」と現代では考えられない差別意識に溢れた言葉を浴びせられたという。そこで「馬鹿にすんじゃねえ」とカチンときた相羽さんは母親と一緒に、言われた発言とそれに対する抗議の手紙を書き連ねて学校に送った。その結果すぐに謝罪を受け、また「今後は障がいを持つ人が夢を叶えるために頑張ることが出来る場所にしていきたいので入学してもらえませんか?」と学校から逆オファーを受け、入学に至る。

「今思うとあの校長先生に『ちょっと環境が整えられそうにないのでごめんなさい』と丁重に謝られていたら素直に諦めていたと思います。言われて悔しかったことがバネになって心を燃やしてくれた。そこから障がいのことでこんな辛い思いや挫折を経験する人が一人でも減って欲しいと思うようになりました。ひとつずつ出来ないことを出来るようにしていく僕の挑戦を見てもらって、誰かの希望になりたいと」

時間がないからこそ、できる時間でできることを模索する

筆者が相羽崇巨の存在を知ったのは、YouTubeにアップされていた2019年9月の全感覚祭の動画を見たことがきっかけだ。彼は車いすで七尾旅人と一緒にステージに並び、朗読を披露していた。野外の会場を健やかに突き抜ける声とその詩は、七尾のギター伴奏に支えられながら、時に曲のグルーヴを新たな展開に扇動し、即興のセッションを繰り広げていた。そこでの相羽さんは生命力があふれる紛れもない一人の表現者だったことをよく覚えている。

そんな相羽さんは2020年から本格的にシンガーとして活動を開始。日々を生きていること、君がいること、そんな当たり前のことを丁寧に愛でながら、慈しみながら描いていく。また朴訥な歌が自然体で、まるで彼と会話しているような心地になる。「言葉はまさに言霊だと思っていて、悪いことを言えば悪いことが返ってくるし、いいことを言っていればいいことがきっと返ってくる。だから具体的なエピソードで作ることはないんですよ。自分がこの障がいを持っていることで出会えた、感じられたことや、ポジティブな言葉をなるべく前面に出そうとしています。意味を求めすぎず希望や願望を歌いたい」

11月には初アルバム「花笑みの日々に」を発表した。アコースティックギターの伴奏を主体に、間に詩の朗読も交えられた、一度聴いたら口ずさめるシンプルな楽曲集だ。

「 『花が咲くように人が笑えたらいい』と思ってこのアルバムを作りました。その人がありのままに生きていて欲しいし、自分を好きでいることを諦めないで欲しい。あと人との縁を大切にして欲しい。僕は七尾旅人さんに2019年5月にわざわざ声をかけてもらって今でも親交がある。本当になにがきっかけになるかわからないから、縁が出来るきっかけを探して、磨いて欲しい。そういうことを伝える表現を今後もしていきたいです」

相羽さんは今も障がいと向き合いながら生きている。死の淵に瀕したことも何度だってある。でも「自分の限界には向き合わないようにしています。そうしている時間がもったいない」と力強く語る彼はハードルを乗り越えながら、リミットをすり抜けながら、今をかっこよく生きるために表現を続けている。

「人によく『生き急いでいる』と言われるんですけど、その通り。他の人と比べたら、命は短いということを認めたほうが生きやすくなる。だから『恥ずかしい』なんて言ってる場合じゃないんです。時間が短いからこそ人の10倍努力して、早く良い作品を作らなきゃいけない。今は落ち着いているけどこれがいつ急に状態が悪くなるかはわかりません。筋ジストロフィーは遺伝子の病気なので、個体差があるんですが、母親の弟は同じ病気で27歳で亡くなっていて、2021年に僕は27歳になる。自分は運のある男だと思っているし、何回も瀕死のピンチを乗り越えてきたからもう怖いものはない。怖いのは死ぬことだけかもしれません」

“くだらない話”
作詞:相羽崇巨 作曲:相羽崇巨
https://linkco.re/NceEfADf?lang=ja

たくさんの ひとがいるなかで
この時代に めぐりあえた

好きなね おんがくがいっしょ
それは もう 運命だよね

ぼくのこのきもちを
どうつたえれば きみに届くの
だれか教えてよ

これからきみと なにをはなそうかな
くすぐったいけれど くだらない話をしよう

とおいおかのむこうから
なつかしい ひだまり

きみはね そんな感じのひと
てれくさそうに 笑った

ぼくのこんなはなしを
きみは うれしそうに きいてないけど
本気でおもうんだ

あとどのくらい おはようと言いあえる?
ずっといつまでも くだらないはなしをしよう

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共感と気づきが多く、課題の本質をどう捉えていくかのプロセスが見える記事でした。自分の心がどこで動くのか、感じながら読んでみてください!

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技術が進化した今、たとえ声を失っても、クリエイティビティとモチベーションがあればアウトプットはできる。彼の存在はすべての表現者を奮い立たせてくれると思います。

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意図的に人を不幸にするクリエイティブなんて存在しない(であってほしい)。そう思うと、幸福を追い求めるというそもそもの「福祉」とクリエイティブって同線上のものなんでは?という嬉しい気づきに出会えました。

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何年か前に菅原さんとお話ししたが、その時に見せてもらった”岡じい”の役者魂と表情が忘れられません。見ているこちらも満たされた気持ちになってくるから不思議。

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印象的だったのが「働くパートナーにとっても来店客にとっても、新たな気づきをもたらす場所」という言葉。カタチを整えるのではなく、共にコミュニケーションを重ねながら幸せの形を作っていくのが福祉なのではと感じさせられました。

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“多様性” という一言では語れない・括れないのが多様性。森田さんの「具体的な個々の事実を積み上げる」という姿勢とその実践から、多様性に本気で向き合う勇気をもらった。

ラベルを剥いだのちに見つかる「自分らしさ」を祝福する
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性別、年齢、人種、職業、障害、そして”LGBTQ”さえもラベルかもしれない。それらを超えて「自分らしさ」のひとことに開放を得たとき人間関係は意外にも心地よかった。

誰もが声を上げ主体者になれる環境から生まれたサイニングストア
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スタバというものすごくポピュラーな場所でコミュニケーションの表現方法は違えど認め合えるハッピーな出会いがあることは素晴らしいことだと感じました。

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病院の中に〇〇室、ではない場所があるのいいですね。特定の誰かのためでないことは、誰に対してもオープンであるということ。神戸のアイセンター、いつか遊びに行きたい。

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本来スポーツは強い弱いではなく、笑顔になり、団結して一つの目標を目指し、個性や自分らしさを認め合えるもの。私自身も支援学校でスポーツの楽しさを知りました。ゆるスポーツが当たり前の風景になりますように。

「居てもいい場所」 をデザインする。 にじんだ線で描かれるこれからの建築
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「人には必ず、自分の身体を愛する権利がある」身体的特徴を生かしたダンスが伝えるもの
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自分の身体に正直な方法を探ってきた森田さんのパフォーマンスは、多くの人々に表現の扉を開かせ、自分自身と向き合う場を生み出すのだろう。表現の可能性にドキドキした。

可能性を追求し、限界を切り拓く。ALS当事者になって一層高める自分らしい生き方
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「限界はない」という言葉をここまで実践している人はいないのではないか、と感じる。テクノロジーによって生き方が拡張していく姿は可能性に溢れている。

未来を切り開く研究テーマは現実に疑問をもつことに始まる
篠田 栞 ライター・劇作家

津軽弁と自閉症というユニークなご研究テーマに興味惹かれました。「障害」「ダイバシティ」と一括りにするのではない、"目の前のリアルな現実"を見つめることに未来を切り拓いていくヒントがあるという点に深く共感しました。

時間をかけて手に入れた自分の説明書が、 自分の生き方をカタチ作る
津久井 珠美 フォトグラファー

単純に、相羽さんの自然体の生き方、ことば、音楽から、元気とHappyをもらいました!!

時間をかけて手に入れた自分の説明書が、 自分の生き方をカタチ作る
大谷 明日香 Creative Studio REING代表

「インクルーシブデザイン」という言葉が普及していく中で、時にその言葉が形骸化していないか疑問を抱くことがあります。「その中心には当事者がいる」という、シンプルで最も重要な考えに基づいた取り組みをされていて大変感銘を受けました。

「人には必ず、自分の身体を愛する権利がある」身体的特徴を生かしたダンスが伝えるもの
土門 蘭 文筆家

「自分の身体が正直に動く方法を探ること」を大事にされてきたという森田さん。美の基準は社会側にあるのではなく個人側にあるのだと、大切な気づきをいただきました。

「老い・ボケ・死」をポジティブに捉え直すための演劇
堤 大樹 Eat, Play, Sleep inc. クリエイティブディレクター

「自分の心身の感覚が鈍ること」が恐ろしいと感じていたし、そういったことを無意識に遠ざけていたけど、少し老いが身近なものになりました。

答えをくれたのはこどもたち。《おやこ保育園》から溶けはじめる家族の線、社会の線
峯 大貴 ANTENNA副編集長・ライター

保育や教育の世界にもその人らしさや自由さを持ち込もうとする気概に胸を打たれる。また助け合い文化が残る長田に移住されたことに代表される、過去に恩恵を受けつつ、今に活かしていく生き方が美しいと思いました。

「ゆるめる」というマイノリティだからこそ生み出せる価値
重松 佑 Shhh inc. クリエイティブディレクター

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「ゆるめる」というマイノリティだからこそ生み出せる価値
宇都宮 勝晃 Shhh inc. デザイナー

自分を責めず、隅へと押し込めず、自分にとっての生きやすさをひらくための「ゆるめる」。こんなやり方があったんですね。読み進めながら肩の力がほどけていく自分がいました。

時間をかけて手に入れた自分の説明書が、 自分の生き方をカタチ作る
MISSISSIPPI 画家・コミック作家

車椅子に乗ってる人はスーパーパワーの持ち主なんだよ。ラストの父子の会話のエピソードが鮮烈で、マンガのストーリーを考える上で大きなヒントになりました。

「ゆるめる」というマイノリティだからこそ生み出せる価値
今津 新之助 SOCIAL WORKERS LAB ディレクター

自らの違和感に正直に向き合って、生きるうえで大切にしたいのは何かを見直そうと思わせてくれた。福祉の世界にある「余白」の面白さや可能性を語ってくれているのも嬉しい。

ラベルを剥いだのちに見つかる「自分らしさ」を祝福する
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多様な「個」の受け入れというと、他者との関係性を思い浮かべるが、「自分との関係性」に焦点を当てられ、興味深かった。福祉であるかないかも自分で無意識に「ラベル」をつけているなぁと思いました。

「居てもいい場所」 をデザインする。 にじんだ線で描かれるこれからの建築
大澤 健 SOCIAL WORKERS LAB 学生インターン

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