スターバックス コーヒー国内初のサイニングストアとして2020年6月にオープン。手話を用いることで聴者と聴覚に障がいのあるパートナーが共に働け、多様な人々が自分らしく過ごし活躍できる居場所の実現を目指した、スターバックスのダイバーシティ&インクルージョンを象徴する店舗の一つ。
耳の聞こえないパートナーの声から始動したサイニングストア・プロジェクト
スターバックス コーヒー nonowa国立店は、国内初のサイニングストアだ。障がいのある人が働く店舗は他にもあるが、ここでは18人の聴覚障がいのある人が5人の聴者と共に店舗を運営している。
JR国立駅直結の商業施設内にある同店は、買い物客で賑わうフロアの一角にある。来店客は手話を使う人だけではなく、学生や会社員、お子さま連れやお年寄りなど様々。レジカウンターへ行くと、手話で「こんにちは」と挨拶する店員が迎えてくれた。客は手話で注文することもできるし、同店のパートナーが制作に関わったメニュー表を指さしながらドリンクのサイズ、カスタマイズの有無などを選択することも可能。そのほかにも筆談や音声など、様々なコミュニケーションツールが用意されている。ドリンクを受け取るカウンターには大きな電子掲示板が設置されていて、レシートに印刷された番号がそこに表示される仕組みだ。画面では「TODAY’S SIGN LANGUAGE」として簡単な手話がアニメーションで紹介されている。
国内初のサイニングストア立ち上げのきっかけとなったのは、スターバックス コーヒー ジャパン CEOと耳の聞こえないパートナー(※スターバックスでは従業員を「パートナー」と呼ぶ)とのラウンドテーブルだったそうだ。2016年にマレーシア・クアラルンプールでオープンしたサイニングストア第1号店のことが話題になり、「日本でもやってみよう」とプロジェクトが始まった。実店舗で導入機会を伺うトライアルを開始し、最初に選ばれた場所は神奈川県鎌倉市御成町。現在nonowa国立店でストアマネージャーを務める伊藤さんは、この頃からプロジェクトに携わっていた。
「私は人事異動でたまたま御成町店に着任し、そこで『実は今、こういう取り組みが始まっていて』という話を聞きました。マレーシアのサイニングストアのことはもちろん知っていたので、『あ、日本でもやるんだ、素敵なことだな』というのが率直な印象でした。だから不安よりも、仲間たちと一緒に新しいことを始められるのが楽しみという気持ちが強かったですね。プロジェクトを進めるために様々な部署の人たちが集まっていたのですが、本社勤務の方が『サイニングストアの打ち合わせのとき、みんな楽しそうだよね』と言っていたことが印象に残っています。スターバックスの一員としてみんな前向きに取り組んでいましたし、会社は一つのチームなのだと改めて実感できた経験でした」
トライアルは約2年半にわたり、九段下、海老名、新宿、東小金井と、場所を替えて行われた。
「国内初出店ということもあり、地域の方々にも親しんでいただけるような場所を選んだ方がいいのではないかと。実際に現場で経験を積みながら、パートナーに必要なサポートを考えていくと同時に、その地域でのお客さんの反応や土地柄も見ていました。国立は、街自体が誰にでも住みやすいインクルーシブな環境づくりを打ち出しています。また、近くに立川ろう学校があり、住人の方がろう文化に対して非常に理解があるんですよね」
そうして2020年6月27日、nonowa国立店がオープンした。手話を使ったコミュニケーションでは人の表情が必然的に大事になってくる。パートナーの明るい笑顔、温かみのある接客に居心地のよさを感じ、何度も訪れる人も多いようだ。イラストレーター・門秀彦のアートをはじめ、店内には手話をモチーフとした装飾がたくさん。他店舗にある上部のメニュー板を外したのは視野を広くして店内の様子や手話を見やすくするためで、同じ理由でカウンターは低めになっている。パートナーはスマートウォッチを着用。タイマーが鳴ったときや他のスタッフから呼ばれたときは振動が知らせてくれる。
働く人が幸せでなければ、お客様を幸せにできない
店内の環境づくりには、実際に働くパートナーの声や個人が行っていた工夫が反映されているそうだ。CEOも社員もアルバイトも等しく「パートナー」と呼ぶことからもフラットな関係性は読み取れるが、声を上げやすい企業風土はどのように作られているのかが気になった。
「まず、入社後最初の研修で、弊社の文化や企業理念を学ぶ機会が数時間あります。そこで、『会社が何かやってくれる』という受け身の感じではなく、『これからあなたもスターバックスの一員になるんですよ』というふうに教えられるんです。さらに、働き始めてからはアルバイトの方も含めて4ヶ月に一度、店長や社員と一対一の人事面談があります。そこで会社の理念に対してどう貢献したか、自分はこの会社を使ってどう目標を叶えていったかを掘り下げていく。こういった取り組みは珍しいと思います」
「グリーンエプロンカード」と呼ばれるものをパートナー同士で贈り合う文化もあるそう。スターバックスが掲げるミッション&バリューズに基づく行動をパートナーがしたとき、それを見ていた他の人がカードにメッセージを書く。お互いに褒め合うことで、お互いのいいところを伸ばし合う仕組みである。スターバックスが大切にしているのは「働く人が幸せでなければ、お客様を幸せにできない」という考え方だ。
「褒められると嬉しくなるし、自信が保たれる。嬉しくなると、『お客様にも同じ体験をしてもらいたい』という気持ちが働きますよね。志を持って弊社に入ってくるパートナーというのは、おそらく最初はお客様として来てくれた方だったんですよ。他の飲食店とは違う体験をしてくれたことから、『私もスターバックス体験を提供する立場になりたいな』と思い、アルバイトに応募してくださる方がとても多い。なので、人と人とが脈々と継いでいった想いがあるんだと思います。じっくり時間をかけながら生まれた風土なんじゃないかと」
誰もが新たな気づきをもたらす場所を作っていく、スターバックスの取り組み
nonowa国立店は、営業開始から8ヶ月を迎えた。働くパートナーを統括する立場にある伊藤さんは、サイニングストアがもたらすプラスの作用を実感しているという。
「一番印象的だったのはオープン日。あるパートナーの笑顔が別人のように明るかったことです。耳の聞こえない方は、普段まるで外国に来たかのような不安を味わっています。そんな環境で仕事していると、大きなストレスがかかっているのでしょう。でもここでは同じ個性の人たちが集まっているので、ありのままの自分が出るんでしょうね。あの笑顔を見たときは“この人って実は本当はこんな人だったんだ”と感じ、衝撃的でした」
障がいのあるパートナーから教わることも多い。伊藤さんが学んだのは、手話には様々な表現方法があるということ。例えば、ショートサイズを注文するとき、「小さい」を意味する手話で表現する人もいれば、指文字でアルファベットの「S」を示して表す人もいる。オープン前にはこの店舗の中でルールを決める必要があるのではないかと議論になった。しかしあるパートナーから、「音声言語でも人によって癖が違うのと一緒」、「手話もその人のアイデンティティなので、一つに統一すること自体がナンセンスだ」という意見を聞き、「なるほど」と納得した。
「この店では手話が共通言語なので、聴者である我々の方がマイノリティになります。他のパートナーに教えてもらいながら働いていると、発見が多く、とても面白いです。別の店舗のスタッフが『留学』として働きに来ることもあります。ここでは、数年働いているベテランパートナーであっても、『言語が違うとこんなに上手くできないんだ』という体験をすることになります。そうすると、『じゃあどうしたら上手くいくんだろう』と考える。その経験を経て、元の店舗に戻ると、ろう者に限らず様々な方が来店されたときに『どういうふうに対応したらよりよいだろう』と自然に考えられるようになるんです」
nonowa国立店も含めて世界には8つのサイニングストアがあるが、『それぞれの国の文化を大切にする』という観点から、他国のオペレーションを参考にはするものの、流用するような方法は採られていない。また、サイニングストア特有の研修や学習教材が設けられているわけでもない。現場でのコミュニケーションを通じて、パートナーたちは一つずつ学習しているようだ。同じように、来店客も学習しながら環境に適応していっている。
「お客様も変わっていくと言いますか。初めて来てくださった方も途中で『あ、こういうことか』と気づいていただけますし、『この言葉は手話ではどうやるんですか?』と聞いてくださる方もいます。常連さまのなかには、手話で複雑なオーダーをされる方や、注文用の画像をご自身で作り、カウンターでスマホを見せてくださる方も。工夫のしかたは人それぞれなんだなと感じました」
働くパートナーにとっても来店客にとっても、新たな気づきをもたらす場所になりつつあるnonowa国立店。ダイバーシティ&インクルージョンに向けた取り組みを行うスターバックスの店舗は全国的に増えてきている。例えば、目黒セントラルスクエア店は、キッズエリアを大きく配置した店舗。週末には親子向けのワークショップ※が開催されているほか、障がいのあるアーティストによる作品を展示している。南町田グランベリーパーク店では、短時間勤務を可能とする「カフェアテンダント制度」を導入。シニアにとってもより働きやすい環境を目指している。
※2020年2月現在は新型コロナウイルス感染拡大のため中止中。
「お客様にもパートナーにもダイバーシティ&インクルージョンを感じていただけるような店舗をこれからも増やしていきたいですね。また、それらの店舗を通じて多様性に対する考え方を身につけたパートナーが全国の店舗に異動して行くことで、自分らしく働ける環境をどんどん広げていくことが一つの目標です。特定の店舗だけが特別なのではなく、全店を誰にとっても過ごしやすい環境にしていきたいです」
周りに助けてもらってもいい、完璧である必要はない。余白がデザインされた山﨑さんの関係論的な設計は、人間のやさしさ・個性を引き出すものであるように感じます。