デンマークオーフス大学で都市社会学専攻、その後ブリュッセル自由大学大学院にて、Urban Studies修士号取得。ブリュッセル、ウィーン、コペンハーゲン、マドリードの4拠点を移動しながら、エリアブランディング、都市人口学、まちづくりの計画理論などを学ぶ。株式会社ロフトワークに勤めたのち、2018年5月から北米へ拠点を移動。都市に関する取材執筆、調査、翻訳、調査成果物やアーカイブシステムの構築など、編集を軸にした活動を行う。
アムステルダムのアート集団・Cascolandが大切にする、“ケア”のコミュニティ
中心部から、自転車で西に40分。アムステルダムといえば人々が思い浮かべる煉瓦造りのカラフルな街並みとは無縁の、殺風景な集合住宅地域にVan Deyssel地区はある。
35棟、計1,200戸の住宅を抱える日本の団地を彷彿とさせるエリア。メインストリートである商店街にはあまり人気がなく、パン屋や散髪屋、コインランドリーがぽつりぽつりと点在しているだけ。住んでいるのはモロッコやトルコ系の移民が中心で、ヒジャブを被った女性を見かけることも多い。また住民の多くが低所得者層で、特に若者による犯罪率も高いと聞く。
アムステルダムを拠点にアートを用い、都市への介入を行うネットワーク「Cascoland」は、商店街の再生やコミュニティガーデンの運営を通じた地域活性に向けて、数年前にこのエリアで活動を始めた。今回、筆者がこのエリアを訪れたのは、彼らとのコラボレーションについて話し合うためだった。都市体験デザインスタジオである一般社団法人for Citiesを立ち上げるにあたり招いてくれたのだ。
Van Deyssel地区では、近く大規模な都市開発が予定されている。私営の住宅戸数を増やし、現状の住宅にもリノベーションを加えることで、新しい層の住民を誘致することが狙いだ。
「この開発が、住民の声を無視し、結果的に彼らを追い出してしまうような暴力的なものにならないように、私たちの活動はあります」と、Cascolandの共同代表であるフィオナは話す。
移民が多く暮らすこのエリアでは、表には出てこないインフォーマルな活動が多く行われている。店舗ではない一般の住居で商品の売買が行われていたり、体調が悪くなればモロッコの伝統的民間医療を受ける住民も多い。オランダ語や英語を話せない住民が多いこのエリアでは、行政や都市を開発する側には見えないこうしたサービスが人々の大切なライフラインになっている。
Cascolandはまずインフォーマルに活動を行う地域のスモールビジネスの関係者や若い企業家に声をかけ、住民と地域アセットのマッチングを始めた。例えば、シャッター街となっている商店街のスペースを1日単位でポップアップショップとして使ってもらうようなことである。
フィオナは「トップダウンではなく、こうしたスモールビジネスの担い手たちと手を組むことで、Community of Care(ケアのコミュニティ) をつくりたい」と考えている。「目に見えないところで行われている住民同士の助け合いや繋がり、そのためのコミュニティスペースが、今後の都市開発で商業的なサービスにとって変わられてしまうのは避けたい。そのために私たちの活動があります」
目に見えないものをマッピングする、「Invisible Care Map」プロジェクト
「関心がある、気に掛ける、心配する、気遣う」という意味を持つケア。「Community of Care」をあえて訳せば、お互いを気遣いあうコミュニティ、ということになるだろうか。
この概念をベースに生まれたアクションが、「Invisible Care Map(目に見えないケアの地図)」というプロジェクトだ。Cascolandとfor Citiesが共同で企画から開発、実践までを行った。コミュニティ内部で行われる小さな助け合いや住民同士の繋がり、そのための空間など、都市の開発者には見えない事象をオンラインの地図で場所に紐付けて共有・可視化できる仕組みだ。このプロジェクトの最終目標は、開発者や行政に対して、都市に何を残して何を更新すべきかを提案していく、一つの道具として活用してもらうこと。
「Invisble care map」は、市民主導でボトムアップにさまざまな情報を集め、共有し活用する市民科学の考え方を取り入れている。「What do you care about in this neighborhood?(このネイバーフッドで貴方が気遣っているものは何?)」という質問に対し、日常生活での経験をもとに住民が自由に回答を投稿できる。オンライン上の地図にアクセスし、ロケーションピンを打ったあと、コメントや写真を投稿できる仕組みだ。
住民と対話し認知してもらうため、私たちはプロジェクトの立ち上げ時期にストリートに移動式の小屋を出してゲリラインタビューも行った。
「一人暮らしなので、人と話したくなればコミュニティセンターにお茶を飲みに行く」
「お隣さんからご飯をお裾分けしてもらうので、お返しにゴミ出しや買い物を代行している」
「不法滞在移民をサポートしてくれる施設がこの近所にある」
「水曜日にここに来れば無料でスープが飲める」
という小さな助け合いのエピソードはもちろん、「夜、若者が通り過ぎると身の危険を感じる」、「移民が多すぎて多様性はあるのに共生はない」というネガティブな意見もある。
投稿をしてもらったりインタビューをする中で、今まで見えていなかった地域のリソースはもちろん、日々の不満や助け合いなど、あまりに些細で見落とされてしまいがちな主観的な情報をマッピングすることができる。
市民の声を拾い上げる”スロー”なリサーチ
住民達の声に真摯に耳を傾けること、見えないものに目を向けること、そして、他者に心を開き、場所と人間の関係性を時間をかけて丁寧に解きほぐしていくこと。Cascolandの活動を観察し、一緒にプロジェクトを行っていると、「ケア」という言葉がぴったりだなと感じた。
実際、この「ケア」という概念を、都市デザインや建築、まちづくりの文脈に積極的に取り入れている事例を、昨今よく目にするようになった。オランダを拠点に活動するSlow Research Labが良い例だ。2018年から2019年にかけて彼らがモロッコで行った「Landscape of Care(ケアのランドスケープ)」というプロジェクトでは、現場に入り込む参与観察や、インデプスインタビュー を行い、住民の意見に耳を傾け地域との関係づくりを、建築家・都市計画家・まちづくり実践者が共に時間をかけて行っている。「ケア」というスタンスをとることで、より広い視点で深く、また密接にリサーチ対象と関係性を築く。
必要な分だけきちんと時間をかけ、良きも悪きも、他者との出会いを怠らない。また正しい問いを立て、見えないものや不明瞭な物事を受け入れて最初の仮説にしがみつかないこと。
Slow Research Labの創始者であるCarolyn F. Straussはこう説明する。
「住民に寄り添うこのようなリサーチは、時間と労力がかかる。効率的でもないし、明確な回答も出しにくい。数値的データに比べて都市開発を行う行政やディベロッパーなどにも伝わりにくいし、遠回りをしていると言えなくもない。けれど、こうした『スロー』なリサーチこそが、 お互いへの『ケア』を主軸とした共創に繋がる」
Landscape of Care: 「ケア」という概念と都市の交差点
「ケア」という言葉と、風景や地理など、空間的な概念である「ランドスケープ」を掛け合わせた「Landscape of Care」。住民が気遣いあい、心身ともに健やかな状態の場所、そしてそれを担保するための文化やインフラ、サービスが整った健やかな地域、というニュアンスがここには込められている。
都市は両手を広げてあらゆる人を平等に受け入れてくれるわけではない。例えば、地価が高騰した香港やロンドンなどの都市では、低所得者層が立ち退かざるを得ないジェントリフィケーションが起こっている。また、2020年のBLM運動の発端となったジョージ・フロイドの死のように、都市部での警察による弾圧や差別の対象は、白人よりも黒人が圧倒的に多い。さらに男性中心社会のなかでデザインされた多くの都市では、女性や子供、身体障害のある人々を考慮したインフラもまだまだ十分とは言えない。そこには選別と分断、マジョリティとマイノリティ間の格差がある。都市において人々を区別するそれらの線は、個人の日常生活のなかで体験されるにも関わらず、大抵目に見えない。
多様な人々を受け入れ、分断や格差のないインクルーシブな都市をつくるためには、この目に見えない体験や声に寄り添いながら形作られる「Landscape of Care」が必要なのではないか。そのためには、CascolandやSlow Research Labが実践するような、コミュニケーションとリサーチの時間を惜しまずに真摯に住民の声に耳を傾け、デザインプロセスに生かしていくための姿勢が必要だ。
コロナ禍で医療・福祉など一部の職種従事者は、健康と命、生活を支えるエッセンシャルワーカーと呼ばれた。建築や都市計画、まちづくりは、「エッセンシャル」な実践となり得るのだろうか。「ケア」に関わる実践は、医療・福祉分野だけに留まらない。都市空間のあり方は、私たちの日常生活とその体験に深く関わっている。建築家や都市計画家、まちづくり実践者が、人間の共存、団結、多様性、支え合いのために「ケア」という視野を持ちながら現場に入っていくことで、私たちの都市はより健やかでインクルーシブなものになるのではないだろうか。
例えば、都市の開発を行う行政やディベロッパーは、結果を伝える形だけの「住民説明会」ではなく、計画そのものを「共に考える」という市民に寄り添ったアプローチをもっと積極的に採用したらどうだろう。時間も労力もコストもかかるかもしれないが、Cascolandのスローな、それでも着実に進化し続ける活動をみていると勇気が出るはずだ。
「インクルーシブ」という言葉がもっと身近になるヒントと具体事例が詰め込まれた良記事。読みながら、大切な人たちの顔が浮かびました。